| 1997 |
6月ロザリオにて誕生。 |
| 1930 |
ブエノスアイレスに転居。
最初の喘息にみまわれる。
以降喘息は、生涯彼を苦しめた。 |
| 1941 |
中学校に入学。その夏休み、彼は初めて
1ヶ月にわたる自転車旅行を敢行。 |
| 1951 |
12月より、友人とともにオートバイで9ヶ月にわたる国外旅行に。 |
| 1953 |
大学卒業。軍医への徴用を嫌い、再び旅へ。 ペルー、グアテマラなどに入国。
ここから彼の流浪の人生がスタートする。
7月キューバではカストロが兵営を攻撃し、世にいう「7月26日運動」が勃発。攻撃は失敗、カストロは投獄される。 |
| 1954 |
メキシコに入国。
街頭写真屋を開業する。 |
| 1955 |
ペルー人亡命者、イルダ・ガデアと結婚。
5月に釈放され、夏にメキシコへ亡命したカストロと出会う。そこで結ばれた深い絆によりゲバラは、キューバ遠征軍に参加する決意をする。 |
| 1956 |
長女、イルディタ誕生。
11月25日、カストロ中心とするキューバ反乱軍82名は、8人乗りヨット「グランマ号」に乗り、メキシコからキューバへ出発。ゲバラは軍医として乗船。
12月2日にキューバ上陸。 |
| 1957 |
1月、ゲリラ戦争開始。1959年まで政府軍と一進一退の攻防をくりひろげる。 |
| 1959 |
1月、バチスタ大統領の国外逃亡により、反乱軍が勝利。
5月にイルダと離婚後すぐに
6月、アレイダ・マルチと再婚。
彼女との間に4人の子どもをもうける。
7月、アジア・アフリカへの親善大使として来日。12日間滞在。
11月、国立銀行総裁に就任。 |
| 1960 |
4月、著書「ゲリラ戦争」出版。 |
| 1961 |
2月、工業省大臣に就任。
8月、故郷アルゼンチンへ8年ぶり、最後の帰国。滞在時間わずか4時間。 |
| 1964 |
12月、国連総会キューバ主席として参加するため”敵国”アメリカ・ニューヨークへ。総会では演説も。 |
| 1965 |
1月〜3月までガーナ、ギニア、カイロを歴訪、キューバに帰国後突如、行方不明に。
10月、キューバ共産党発足のさい、カストロより、4月1日にゲバラの記した「別れの手紙が朗読される。 |
| 1966 |
アフリカ・コンゴでのゲリラ戦に参戦後、11月ボリビアに。ボリビアでの様子を記した日記は、「ゲバラ日記」として死後刊行。 |
| 1967 |
ボリビアでのゲリラ戦が本格化。最初は何度か勝利を収めたが、仲間の裏切り、政府軍の兵力増強などでだんだんと劣勢化していく。そして10月8日重傷を負い捕らえられ、翌日射殺される。 |
| 1997 |
30周忌をを迎え、やっとゲバラの遺骨が発掘される。 |