東欧諸国を始め、キューバ・アルゼンチンなどで製作された芸術映画と呼ばれる良質の作品を中心に配給しています。
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木洩れ日の家で
岩波ホールにて、2011年4月16日(土)より大ヒット上映中!!
『木洩れ日の家で』
2011年12月23日(金)DVD発売決定!
発売元:パイオニア映画シネマデスク
販売元:アルシネテラン
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ダヌタ・シャフラルスカさんと初めてお会いしたのは20年前、私のデビュー作 『ディアブリィ・悪魔(Diabły , diabły)』(91)(この映画は第4回東京国際映画祭で上映されました)の撮影現場でした
ダヌシャ(ダヌタの愛称)が演じたのは小さな挿話にすぎませんが、私とラインハルト(撮影監督)の製作スタイルをとても気に入ってくれたので、撮影が終了してから、ダヌシャに約束しました――「いつか、特別にあなたが主役を演じる映画のシナリオを書きます」と。 ダヌシャは、とても辛抱強く待ってくれました。それに対して、私は、長い間、彼女が才能を十分に発揮できるテーマを見つけることができませんでした。しかし、15年後のある日、私の隣人の女性(当時すでに故人でした)と、彼女の木造の家に起こった物語を知り、わずか2週間で、本作『木洩れ日の家で』のシナリオを書き上げることができたのです。
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撮影にあたって、私たちは、ぜひとも、その物語が誕生したその家で行いたいと思いました。その家は稀に見るほど美しかったのです。しかし、残念ながら、私たちが製作資金を探している間に、所有者だった女性の孫が改修してしまい、クリスタル・ガラスのはまった木枠の窓をプラスチックの窓に取り換え、家の様式に不似合いな新しい屋根をつけてしまいました。 私たちは、そのために映画の別の主人公、すなわち家を探さなければなりませんでした。そのことにも私たちは長い期間を要し、最終的に、二つの家で撮影を行うという決断を下さざるを得なくなりました――内部はある家で、外部とベランダは別の家で。 演じるダヌシャがそうであるように、映画の主人公アニェラは、老いた女性の賢明さというか、微笑みと辛辣なユーモアという、私たちが羨望を覚える稀有の才能を備えています。それこそがあの素晴らしい、生きるための賢明さであり、それがあればこそ、どんなに困難な状況にあっても彼女は救われるのです。いかなるときでも屈せず、悲しみに沈まず、力とエネルギーが与えられ、それがあればこそ、人生のあらゆる難所を誇り高く、堂々と、頭をもたげて踏破できるのです。
そして、アニェラが会話し議論をする、唯一の本当の「友人」、犬のフィラ。フィラのおかげで、私たちは日常的な事柄や、「太古から相も変らぬ」事柄に関する、彼女の考えや、実に冗談に満ちた滑稽な「対話」を聞くことができます。また、電話は彼女が外の世界と接する特に大切な要素です――電話は、彼女に安全だという感覚を与えてくれ、それによって日々の孤独感が消えていく、魔法のオブジェなのです。
撮影の間、私たちは、アニェラとともに、過去に旅しているような気がしていました。間もなく消え去って、二度と取り返すことのできない場所(というのも、私たちが撮影を行った家は、もう存在しないからです)を支配している、忘れがたい空気と、かつての輝きを発見していくようでもありました。私たちは、その時代と人々に対して、深く首を垂れる思いになりました。
間違っているかもしれませんが、私は、さまざまな場所に、忘却の彼方に遠ざかってしまう場所、家や空気、そしてアニェラのように、老年になると見捨てられて一人きりになってしまう人々を見出すことができると思います。また、己れの誇りをかけて、私たちを取り巻く奇妙な世界と闘う、日々の生活のヒーローたちも見出すこともできます。
私のまわりに、アニェラほど前向きで、勇敢で、実際的な人は、ほんの少ししかいません。また、誠実な(せめて自分自身に対して)人もごくわずかです。だからこそ私は、一般には敗北者と思われている老いた女性、しかし、人生の最後の日々においてすら、他の人々に善を与えることのできる女性について物語ることが自分の義務であると思ったのです。
アニェラは、助けを必要としている人々に、古い財産の残りを差し出し、それによって、私たちに前向きなエネルギーと善意を伝えてくれます。そうした価値など無に等しいという人もいるでしょうが、ある人々にとっては、これが、世界と人々と正義を信じさせてくれる、なかなか手に入らない素晴らしい価値なのです。アニェラは、その死の日にいなくなってしまうのではなく、さらに長い間、存在しつづけ、長い間、模範でありつづけ、羨望をかきたてつづけることでしょう。
ワルシャワ郊外の緑に囲まれた木造の古い屋敷、その家で愛犬フィラデルフィアと静かに暮らす一人の女性アニェラ、91歳。年老いてなお美しく、そして誇り高く生きる彼女は、戦前に両親が建てたその家で生まれ、成長し、恋をし、夫と暮らし、一人息子ヴィトゥシュを育ててきた。夫はとうに他界し、息子も結婚して家を出ていた。共産主義時代に政府から強制された間借人もようやく出ていき、アニェラは今、さほど長くはない自らの余生と彼女が愛する家をどうするか考えていた。その家で彼女が体験した忘れることのできない甘美な思い出の数々と、いろいろなことが思い通りにはいかずに歯がゆい現実、息子の家族に同居を拒否された寂しさに、健康への不安…。やがて彼女が下す人生最後の決断。彼女がただひとつだけ遺そうとしたものとは…。鮮烈なまでに美しいモノクロームの映像と、世界現役最高齢の名女優が魅せる奇跡の演技で詩的に描き出す、ある女性の人生最後の日々。数々の名作を生み、数多くの名匠を世に送り出してきたポーランド映画界からまた1本、深い感動を呼ぶ珠玉の名作が誕生しました。
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主人公のアニェラを演じるダヌタ・シャフラルスカは、撮影時91歳。1927年に初舞台を踏み、第二次大戦後初のポーランドの長編映画「禁じられた歌(Zakazane piosenki)」(47)に出演するなど芸歴は83年に及び、95歳になる現在も舞台女優として現役を続けているポーランドの伝説的名女優。その他、アニェラの息子を『殺人に関する短いフィルム(Krótki film o zabijaniu)』(88)、『カティンの森(Katyń)』(07)などの名優クシシュトフ・グロビシュが演じるのをはじめ、映画の冒頭すぐに登場する病院の女医に『天国への300マイル(300 mil do nieba)』(89)、『借金(Dług) 』(99)のベテラン、マウゴジャタ・ロジュニャトフスカ、アニェラの家に盗みに入ろうとする少年ドストエフスキーに『僕がいない場所(Jestem)』(05)のカミル・ビタウなど。そして、忘れてはいけないのが愛くるしい表情でダヌタと息の合った名演技を披露する愛犬役のフィラデルフィア。メス犬役を演じたオス犬の彼は、グディニャ・ポーランド映画祭で特別賞を受賞しました。また、画家、彫刻家、建築家、詩人としても有名なアメリカ在住のポーランドを代表する国際的なアーティスト、ヴィトルト・Kが公証人の役で特別出演し、俳優デビューを飾っているのも見逃せません。
監督・脚本は、『カラス達(Wrony) 』(94)、「何もない(Nic)」(98)、日本で公開された前作『僕がいない場所(Jestem)』(05)など、子どもを主人公にした傑作の数々で、多くの映画賞を受賞し、国際的にも高く評価されている気鋭の女性監督ドロタ・ケンジェジャフスカ。現在では製作が非常に難しい驚異のモノクローム映像を実現させたのは、ドロタの夫でもあり、リドリー・スコット製作、ケヴィン・レイノルズ監督の『トリスタンとイゾルデ(Tristan & Isolde)』(06)など、ハリウッドでも活躍する現代ポーランド最高のカメラマンで、本作ではプロデュースも手掛けるアルトゥル・ラインハルト。音楽は、ドロタの『カラス達(Wrony) 』(94)やピータ・グリーナウェイ監督の『レンブラントの夜警 (Nightwatching)』(07)、ポーランド映画祭で上映された『裏面 (Rewers)』(09)などのヴウォデク・パヴリク。美術は『ファイア・アンド・ソード (Ogniem i mieczem)』(99)、『ショパン 愛と哀しみの旋律 (Chopin. Pragnienie miłości)』(02)のアルビナ・バランスカが担当しています。
なお、本作は2007年グディニャ・ポーランド映画祭において主演女優賞・録音賞・観客賞・批評家賞、ポーランド映画賞において主演女優賞、ウィスコンシン映画祭において観客賞を受賞しています。
ワルシャワ郊外の緑に囲まれた木造の古い屋敷、91歳になるアニェラは、戦前に両親が建てたその家で生まれ、成長し、恋をし、夫と暮らし、一人息子ヴィトゥシュを育ててきた。夫はとうに他界し、息子も結婚して家を出ていた。共産主義時代に政府から強制された間借人もようやく出ていき、アニェラは今、その家で愛犬フィラデルフィアと静かに暮らしていた。彼女は息子とその家族がその家で同居してくれることを願っていたが、市街で暮らす息子夫妻にも孫娘にもそんな考えはまるでなかった。息子は年に数回、孫娘を連れて顔を見せに来たが、アニェラは嫁と折り合いが悪く、滅多に顔を見ることもなかった。
一日中ほとんど家にいるアニェラの日課は、双眼鏡で両隣の家を覗くことだった。片方の家は週末だけ主人がやってくる成金の愛人宅か何かのようで、アニェラはその家の住人たちが嫌いだった。もう片方は若いカップルが開いている子供たちのための音楽クラブで、楽器の練習や子どもたちの声で毎日騒々しい。しかし、アニェラは子どもたちに愛情を注ぐカップルに好感を持っており、元気な子供たちの姿は息子の小さい頃を思い出させてもくれた。だが、カップルはどうやら、その場所をクラブのために使えなくなるようなトラブルを抱えていた。
ある日、金持ちの方の隣人の使いを名乗る男がやってきて、アニェラに対し唐突に家を売って欲しいと言い出す。アニェラは破格で買い取るという申し出をあっさりと断って男を追い返すが、隣人はその後もしつこく電話を掛けてきては家を売るように迫るのだった。
アニェラはこのところ体調に不安を抱えていた。物忘れはひどくなり、突然めまいに襲われることもしばしばだった。彼女は自分の人生があまり長くないことを察していた。アニェラにとって唯一の気がかりは、美しい思い出をたくさん与えてくれた、彼女の人生そのものでもある家のことだった。だが、彼女が元気なうちにその家から出ていくことなど考えられなかった。
アニェラはもう一度息子一家を説得しようと、8歳になる孫娘にその家に住む気はないかと尋ねるが、過保護に育てられた孫娘は祖母に対する思いやりのかけらもない。「修復するより燃やしちゃえば?」と言い放つばかりか、家よりも指輪が欲しいとねだる始末だった。さらに、その夜、アニェラは信じていた息子のヴィトゥシュが、何の断りもなく、隣人宅で彼女名義のその家を売る相談をしているのを目撃して愕然とする。さらに驚いたのは同席していた嫁が、身勝手なヴィトゥシュの行為を非難していることだった。
ショックを受け、何もかも嫌になったアニェラは、自ら命を絶つことさえ考えたが、あっさり思い直し、翌日大胆な行動に出る。彼女は音楽クラブを開いている隣人宅へ向かうと若いカップルにある提案をする。それは、2階に自分が住み続けることを条件に、家を彼らのクラブに寄贈するというものだった。カップルは大喜びでその提案に応じ、すぐに公証人が公正証書を作成した。アニェラはピアノの置いてあった床下に長い間隠してあった高級な宝石類も、家の修復代に充てるようにと差し出してしまう。彼女が息子の家族に残そうとしたのは、息子の妻への指輪ただ一つだけだった。
やがて、修復された家が優しい木洩れ日に包まれる中、家中に音楽クラブの子どもたちの元気な声が響き渡った。
アニェラにはもう思い残すことは何もなかった…。
1915年2月20日、旧オーストリア ー ハンガリー、現ポーランド領のコサジスカ生まれ。 中学生の時に演劇に目覚め、1927年に初舞台を踏んだ。
1936年~39年まで国立演劇学院で演技を学び、1946年に製作された戦後ポーランド初の長編映画、レオナルド・ブチコフスキ監督作「禁じられた歌(Zakazane piosenki)」(47)で映画デビューを果たした。その後、舞台を中心に活動するが、レオナルト・ブチコフスキ監督の「宝物(Skarb)」(48)、カジミェシュ・クツ監督の「列車の中の人々(Ludzie z pociągu)」(61)、タデウシュ・コンヴィツキ監督の「イッサの谷(Dolina Issy)」(82)、アンジェイ・ワイダ監督の『コルチャック先生(Korczak)』(90)、フィリップ・ズィルベル監督の『マリアとの別れ(Pożegnanie z Marią)』(93)、イェジ・シュトゥル監督の『ある男の一週間(Tydzień z życia mężczyzny)』(99)などの映画にも出演。ドロタ・ケンジェジャフスカ監督作には長編デビュー作『ディアブリィ・悪魔(Diabły , diabły)』(91)と「何もない(Nic)」(98)に出演している。これまでに『ディアブリィ・悪魔(Diabły , diabły)』(91)と「マリアとの別れ(Pożegnanie
z Marią)」(93)でグディニャ・ポーランド映画祭の助演女優賞を受賞しているが、本作の演技により同映画祭主演女優賞の他、ポーランド映画賞(ワルシャワ)でも最優秀主演女優賞を受賞した。
彼女は本作の後も、3つの舞台を同時にこなすなど精力的に演劇活動を続けている。
また本作での演技がさらに評判となり、ポーランド屈指のヒットメイカー、ユリウシュ・マフルスキ監督の「トロイの木馬の重量は?(Ile waży koń trojański?)」(08)やアグニェシュカ・ホラント監督の新作「ヤノシク―真実の物語(Janosik. Prawdziwa historia)」(09)など、映画出演のオファーも増えている。
1957年6月1日、ポーランドのウッチ生まれ。
母親は映画監督のヤドウィガ・ケンジェジャフスカ。幼い頃から母親の撮影現場で映画撮影を見学し、興味を持っていた。
76年にウッチ大学で文学を学び、さらに78年からはモスクワで映画演出法を学んだ。その後ウッチの国立映画大学で映画製作をより専門的に学び、81年に卒業した。80年に5分の短編記録映画「アグニェシュカ(Agnieszka)」を撮り、82年には10分の短編劇映画「卵(Jajko)」を発表、同作がミュンヘンでのヨーロッパ学生映画賞で1位となるなど絶賛され、数多くの映画賞を受賞して一躍注目の新人監督となった。
91年に発表した初の長編『ディアブリィ・悪魔(Diabły , diabły)』は、グディニャ・ポーランド映画祭で最優秀監督賞・審査員特別賞をはじめ、数々の映画祭で受賞した。続く『カラス達(Wrony)』(94)でウッチ市のプラス・カメルイメージ国際撮影芸術フェスティヴァル「金の蛙」(グランプリ)賞でさらに国際的に高い評価を受けた。同作で撮影を担当したアルトゥル・ラインハルトと結婚し、以後98年の「何もない(Nic)」、日本でも劇場公開された05年の『僕がいない場所(Jestem)』と、ドロタが監督と脚本、アルトゥルが製作と撮影を担当し、夫婦で作品作りを続けている。次回作は日本、ポーランド合作の「明日はきっとよくなる (Jutro będzie lepiej)」(10)。
1955年3月24日、ポーランドのクルチボルク生まれ。
88年にウッチの国立映画大学に入学し、映画撮影を学ぶ。
92年に短編ドキュメンタリー「出生地(Miejsce urodzenia)」で撮影を担当、93年の「魔女たちのとき(Pora na czarownice)」で初めて劇映画の撮影を手掛けた。94年の『カラス達 (Wrony) 』でその年の最も優れた撮影監督に与えられるプラス・カメルイメージ国際撮影芸術フェスティヴァル「金の蛙」(グランプリ)賞を獲得、また同作のドロタ・ケンジェジャフスカ監督と結婚した。
その後、ポーランド、イギリス、チェコ合作の「挑発者(Prowokator)」(94)、ドイツ映画「永遠に(Für immer und immer)」(95)、マーチェイ・デイチェル監督、ティル・シュヴァイガ―主演のポーランド、イギリス、フランス、ドイツ合作のアクション『ブルート(Brute)』(98)など、国際的な活躍を開始、ドロタとの「何もない(Nic)」(98)でポーランド映画賞最優秀撮影賞を受賞後、ハリウッドに招かれてTVの大型ミニ・シリーズ『デューン 砂の惑星Ⅱ(Children of Dune)』(03)とリドリー・スコット製作、ケヴィン・レイノルズ監督の『トリスタンとイゾルデ(Tristan & Isolde)』(06)の撮影を担当、その美しい映像は高い評価を受け、現代ポーランドのみならずヨーロッパ最高のカメラマンの一人とも呼ばれるようになった。ドロタとはその後『僕がいない場所(Jestem)』(05)と本作、さらに新作の「明日はきっとよくなる(Jutro będzie lepiej)」(10)を続けて製作しており、彼は撮影だけでなく製作と共同編集も担当している。近作にヤン・ヤクブ・コルスキ監督の「ヴェネツィア(Wenecja)」(10)があり、2010年の グディニャ・ポーランド映画祭最優秀撮影監督賞、また、プラス・カメルイメージ国際撮影芸術フェスティヴァル「金の蛙」(グランプリ)賞に再び輝いた。
1994年7月、私はチェコのカルロビバリ映画祭に参加。緑豊かな美しいボヘミアの温泉地で開かれる映画祭である。その渓谷沿いのホテルで、私はポーランドの代表的な国営会社、フィルムポリスキーのシショフスキー氏と知り合った。何故かオープニングを皮切りに、5、6本の作品を一緒に仲良く鑑賞した。映画祭も後半、突然彼は朝食の時、私をグディニャ映画祭に招待したいと言い出した。グディニャ映画祭はバルト海のほとり、造船所=連帯で有名なグダニスクの隣にある、毎年製作されるポーランド映画約30本と映画に関係する人達が集まる映画祭で、私は行くことにした。その年の11月、モスクワに一泊。ワルシャワ中央駅より列車で4時間半。長い旅程である。グディニャ駅は午後4時過ぎだというのにあたりは暗く、何か淋しそうな感じの街並みだった。映画祭会場の前はなまり色のバルト海、横にホテル、繁華街は近くにはない。映画祭会場とホテルの往復で映画を観るだけの、本当の映画祭である。会場は、あふれんばかりの人と熱気で光輝いている。映画が終わるごとに皆カフェテリアに殺到し、ビールを片手に今観た映画の話を熱っぽく語るのだ。3日目の夕方、私はドロタ・ケンジェジャフスカの「カラス達」を観る。初めての出会いである。貧しい少女の家、そして疲れた母親、学校の冷たさ、殺伐とした街並み、そんなある日、少女は公園にいた親子に出会い話しかけられる。幼い女の子が海で遊びたいと言う。少女は咄嗟に女の子を連れ出し海を見に行く。波間につながれたボートに乗り、大きい波とたわむれる二人。次から次に押し寄せる波。波間に大きな客船が見える。少女の目に写る海。少女は幼い子のやさしい母親になったのだ。そして海は大きい何よりもまして大きいことを知る。この様子を、ラインハルト氏の新鮮な力強いカメラが捉える。
ハッと気付いた少女、幼い子を返すために夕刻迫る街中にある家の前まで送って行き、黙って別れる。後は全力疾走!見ていて胸が熱くなった。映画はまさに児童映画を超えていた。私はドロタ監督に会うためにプレスルームへ直行、が超満員でみんな映画に興奮していた。私は彼女が受け答えする姿をやっと見るのが精一杯だった。その時ポーランド語で話をする彼女はメガネをかけ少し照れているようだった。それ以来、カンヌ、プサン、上海、ワルシャワ等多くの映画祭で再会する。
2006年には河口に繋がれた廃船でひとり暮らす母親の愛を求める少年クンデルの悲哀を描いた「僕がいない場所」をベルリンで契約。その時、ラインハルト氏から次回作はドロタが最も尊敬しているポーランドの91歳の大女優、ダヌタ・シャフラルスカを起用して、戦前から森に建つ大きなガラス窓のある家で老女が愛犬と暮らす「人生の映画」を撮ることを聞かされた。
そしてドロタはこの忙しい世間の常として、人生の不条理、悲しみ、不正、希望を少年少女の純粋な瞳と、長い人生を生き抜いた老女の姿を通して、それらを乗り越える固い決意を映像に刻み込んだ。
ドロタ、カメラのラインハルト氏との友情は、すぐれた映画を多くの人に紹介したいと願う映画屋のはしくれにとって、それは人間同士の幸運な出会いとなった。
| アニェラ | ダヌタ・シャフラルスカ |
|---|---|
| 息子 | クシシュトフ・グロビシュ |
| 孫娘 | パトルィツィヤ・シェフチク |
| ドストエフスキー | カミル・ビタウ |
| しつこい男 | ロベルト・トマシェフスキ |
| 公証人 | ヴィトルト・カチャノフスキ |
| 医師 | マウゴジャタ・ロジニャトフスカ |
| 娘 | アグニェシュカ・ポトシャドリク |
| 監督・脚本 | ドロタ・ケンジェジャフスカ |
|---|---|
| 撮影 | アルトゥル・ラインハルト |
| 音楽 | ヴウォデク・パヴリク |
| 編集 | ドロタ・ケンジェジャフスカ、アルトゥル・ラインハルト |
| 音声 | マルチン・カシンスキ、カツペル・ハビシャク、ラインハルト・ステルガル |
| 美術 | アルビナ・バランスカ、アルトゥル・ラインハルト |
| 衣裳 | カタジナ・モラフスカ |
| プロデューサー | ピョトル・ミクラシェフスキ、アルトゥル・ラインハルト |
| 製作 | キッド・フィルム/タンデム・タレン・トゥー/テレビ・ポーランド |
| 共同製作 | ポーランド映画芸術インスティトゥート |
| 製作年 | 2007年 |
| 製作国 | ポーランド |
| 原題 | Pora umierać |
| 上映時間 | 104分 |
| 配給 | パイオニア映画シネマデスク |
| 後援 | ポーランド大使館 |
| 宣伝協力 | アルシネテラン |














