東欧諸国を始め、キューバ・アルゼンチンなどで製作された芸術映画と呼ばれる良質の作品を中心に配給しています。
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チェ・ゲバラ -人々のために-
2002年劇場公開作品
「あの頃世界で一番かっこいいのがゲバラだった」 ─ジョン・レノン
真実の革命家チェ・ゲバラの全貌に迫るドキュメンタリー!
- 1998年ハバナ国際映画祭
コンペティション部門公式上映作品 - 1999年ブラジル“イッツ・オール・トゥルー”
(ドキュメンタリー)国際映画祭
特別記録映像賞受賞 - 1999年アルゼンチンUNICIPARインディペンデント映画祭
特別招待作品
| 製作年 | 1999年 |
|---|---|
| 製作国 | アルゼンチン |
| 上映時間 | 89分 |
| ジャンル | ドキュメンタリー |
| 監督・脚本 | マルセロ・シャプセス |
| 出演 | アルベルト・グラナドス、アルベルト・ディアス・コルダ、アレイダ・ゲバラ・マルチ |
「チェの思想が実現していたら、世界は違ったものになっていただろう。戦士は死ぬ。
だが、思想は死なない。」
フィデル・カストロは、同志を迎える帰還追悼集会で雄弁に語り、押し寄せる沿道の人々もまた、自分の信念を貫いた革命家の高貴な魂に敬意を捧げた。
キューバ革命-十数人のゲリラから始まった革命軍は、2万人にも及ぶ政府軍との長い戦闘の末、時のバチスタ政権を倒し、貧困に苦しむ人々を抑圧から解放する。その革命軍の中に、アルゼンチン人エルネスト・チェ・ゲバラはいた。”チェ”とは親愛の情を込めたゲバラの愛称である。
ゲバラは、指揮官として常に勇敢に先陣を切って戦い、カストロも彼の優れた知性と洞察力に裁量を求めた。そんな姿に部下や民衆は忠誠心を強くしていった。奇跡的な革命の成功は、まさにゲバラの存在なくして考えることはできない。その後、彼は名誉や地位をあっさりと捨て、理想を求め国境を越えた新たな革命へと旅立つ。
「自由を求める人々が、僕のささやかな努力を望む限り闘い続ける。永遠の勝利まで。革命か死か。」-ゲバラがカストロに宛てた別れの手紙の言葉どおり、彼はコンゴそしてボリビアで懸命に闘い、ついに銃弾に倒れ夢に散る。映画は、革命の象徴として偶像化された英雄の生きざまを、膨大な価値ある写真や映像・エピソードを駆使しながら、親しみをもって描いていく。そして、彼の神話を超え、愛すべき人間的な実像を浮き彫りにしたゲバラ讃歌でもある。中でも、シエラ・マエストラで共に闘った同志や、彼の娘アレイダや深い絆をもつ人々によって綴られるゲリラ戦での劇的な記憶や父親との家庭生活の思い出はゲバラの吐息を感じさせ、革命へ情熱に染まってゆく瞬間に宿った命が、今ここに、チェの真の姿となって蘇る。
魅惑と混沌に包まれたキューバには、今なお、澄んだ目で見つめるベレー帽に髭もじゃの風貌の写真や肖像が街のいたる所に飾られ子ども達は揃えて「チェのようになりたい」と歌う。彼らの英雄に向ける愛と尊敬のまなざしに、チェの遺志が人々の心に永遠に生き続けていることを感じさせる。
命を賭して変革を求め続けたチェ・ゲバラの意思精神は戦士を讃える歌声となって、今も世界中に鳴り響く・・・。
マルセロ・シャプセス
1958年アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。
アルゼンチン、メキシコの養成センターで映像を学び、1983年から86年まで、音楽プロダクションにてプロデューサーとして活躍。その後、広告会社在職中に脚本を手掛けたのを機に、数々のテレビ番組の構成を手掛けた。
1992年にスペインに渡り、ヨーロッパ、ラテン・アメリカの若手脚本家、映像作家の育成に貢献し、ブエノスアイレスに帰郷後は大学・専門学校で教鞭を取るなど、後進の育成にも力を注いでいる。
ゲバラが歩んだ39年間の「闘争」の旅路
| 1927年 | 6月ロサリオにて誕生。 |
|---|---|
| 1930年 | ブエノスアイレスに転居。 最初の喘息にみまわれる。以降喘息は、生涯彼を苦しめた。 |
| 1941年 | 中学校に入学。その夏休み、彼は初めて1ヶ月にわたる自転車旅行を敢行。 |
| 1951年 | 12月より、友人とともにオートバイで9ヶ月にわたる国外旅行に。 |
| 1953年 | 大学卒業。軍医への徴用を嫌い、再び旅へ。 ペルー、グアテマラなどに入国。 ここから彼の流浪の人生がスタートする。 7月キューバではカストロが兵営を攻撃し、世にいう「7月26日運動」が勃発。攻撃は失敗、カストロは投獄される。 |
| 1954年 | メキシコに入国。 街頭写真屋を開業する。 |
| 1955年 | ペルー人亡命者、イルダ・ガデアと結婚。 5月に釈放され、夏にメキシコへ亡命したカストロと出会う。そこで結ばれた深い絆によりゲバラは、キューバ遠征軍に参加する決意をする。 |
| 1956年 | 長女、イルディタ誕生。 11月25日、カストロ中心とするキューバ反乱軍82名は、8人乗りヨット「グランマ号」に乗り、メキシコからキューバへ出発。ゲバラは軍医として乗船。 12月2日にキューバ上陸。 |
| 1957年 | 1月、ゲリラ戦争開始。 1959年まで政府軍と一進一退の攻防をくりひろげる。 |
| 1959年 | 1月、バチスタ大統領の国外逃亡により、反乱軍が勝利。 5月にイルダと離婚後すぐに6月、アレイダ・マルチと再婚。彼女との間に4人の子どもをもうける。 7月、アジア・アフリカへの親善大使として来日。12日間滞在。 11月、国立銀行総裁に就任。 |
| 1960年 | 4月、著書「ゲリラ戦争」出版。 |
| 1961年 | 2月、工業省大臣に就任。 8月、故郷アルゼンチンへ8年ぶり、最後の帰国。滞在時間わずか4時間。 |
| 1964年 | 12月、国連総会キューバ主席として参加するため”敵国”アメリカ・ニューヨークへ。 総会では演説も。 |
| 1965年 | 1月~3月までガーナ、ギニア、カイロを歴訪、キューバに帰国後突如、行方不明に。 10月、キューバ共産党発足の際、カストロより、4月4日にゲバラの記した「別れの手紙が朗読される。 |
| 1966年 | アフリカ・コンゴでのゲリラ戦に参戦後、11月ボリビアに。 ボリビアでの様子を記した日記は、「ゲバラ日記」として死後刊行。 |
| 1967年 | ボリビアでのゲリラ戦が本格化。最初は何度か勝利を収めたが、仲間の裏切り、政府軍の兵力増強などでだんだんと劣勢化していく。 そして10月8日重傷を負い捕らえられ、翌日射殺される。 |
| 1997年 | 30周忌をを迎え、やっとゲバラの遺骨が発掘される。 |
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